yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

先生、を反面教師にしたエピソード

頑張るとご褒美がある、

または、

頑張らないとペナルティがある、

 

という条件が、

「望ましい行動」を引き出すのに、

効果的なことがあります。

 

 

子育てに関していえば、

ほとんどが、 

 

「親にとって望ましい行動」、

 

というものだと思いますが、

 

本当は、

当の本人が、

条件を決めてがんばるものだ、

と思います。

 

大人の場合は、

そうやって、自分を鼓舞しているものです。

 

 

でも、

子どもに対して、何かを動機付けるのには、

とても有効なので、

よく使われる手法です。

 

でも、

それは、コントロール

 

セルフコントロールならいいのですが、

そうでなければ、

いつも、何かを誰かに求める、

または、

自他にペナルティを求める、

そんな人間に、

ならなかったらいいのですが…。

 

 

娘は、もともとこの手法が、

使えない子どもでした。

 

一人っ子で、

祖父母から甘やかされた面もありますが、

 

条件があったとしても、なかったとしても、

 

やりたくないものはやりたくない、

し、

やりたいものはやりたい、

 

のでした。

 

 

今でも、うっかり条件提示してしまいますが、

そのたびに、無効であることを確認することになります…。

 

そんなご褒美はいらないし、

そのペナルティは受けて立つ、

もしくは、無視する、

 

というわけです。

 

 

お行儀よく、だの、

お作法だの、

お約束だの、

とっくの昔に、

しつけ、ることは諦めました。

 

そうすることによって得られる、

ご褒美やペナルティは、

本人にとって、

あまり意味がない、ようでした。

 

あなたの将来のために、

は、

自分の子育ての成功のために、

 

を、見透かされてるようでもありました。

 

 

俗にいう、

「飴と鞭」は、

我が家では通用しませんでした。

必要ならば、自分でやるから、

という子どもでした。

 

 

 

 

六年生になった娘は、

最高学年という気負いもあってか、

最初は頑張って教室にも通っていました。

 

私は、娘の成長にしたがい、

親の関わり方も変えていく必要を感じていたので、

娘と先生の決めたこと、

に基本的にはお任せすることにしていました。

そろそろ親が知らないことがあっても、

不思議じゃない年頃です。

娘を信じて任せよう、見守ろう、

と、思っていました。

 

担任の先生との面談では、

娘のことは、包み隠さず話していました。

この二年間の引き継ぎもしていただいてると、

信じていました。

 

さらに、

本人が学校に行かない選択をするなら、

それも尊重する構えでいましたし、

本人が、納得しているなら

それでいいと思っていました。

 

 

ですが、現場には限界もあったのでしょうか。

 

通り一辺倒な対応、

一方通行的な対応、

押し付け、励まし、煽り……、

 

先生は、自分の長年の経験や価値観、

から抜け出せないでいるようでした。

 

自分の対応は適切だったか、

子どもはどう思っているのか、

 

というような振り返りができていないようでした。

 

振り替える余裕がないのか、

ベテランというプライドが許さないのか、

子どもの頃に学校が好きだった先生にはわからないのか、

 

そこはわかりませんが、

 

これは、私も反面教師にしなければいけないことだな〜、と、

思いました。

 

 

結果的に、娘が登校するたびに

傷ついて帰ってくることになり、

 

それでも、先生には何か策があるのだろうと

娘をなだめ透かしながら、

やり過ごしていましたが、

 

学校で困っています、という相談もなく、

他の先生も娘の状態に気づいていながら、

何も変わらず、

 

ある日、泣いている娘を迎えにきてほしい、という連絡がありました。

 

泣いてしまった娘、

先生に気持ちをうまく言えない娘、

が迷惑をかけているような雰囲気がそこにはありました。

 

担任の先生に全てを打ち明け、

娘の苦しみにに気づいていなかった先生に驚き、

 

あらためて、学校という組織の、

閉塞性、

先生も、ある意味職人集団であることを思い知りました。

 

 

子どもは、大人の世界の縮図になることがあると思います。

 

子どもは、ちゃんと大人のふるまいを見ているものです。

 

子どものふるまいを責める前に、

大人は自分たちのふるまいを、

振り返る必要があると思います。

せめて、話をじっくり聞いてやる必要があると思います。