yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

最後に率直に伝えたいこと。

私には、本当に幸いなことに、
学年は異なりますが、
同じように「特別な子」を育てているママ友が
同じ学区に二人いました。


ここで言う「特別な子」と言わせてもらっているのは、
何も「ギフテット」のような天才をいうのではなく、
誰が見ても「自閉症」とわかるような、というのでもありません。

コミュニケーションも、勉強も、
一見、普通にこなしているように見えて、
物凄く物事を深いところで理解していたり、
感じ取っていたりする子、
のことです。

そのような子は、ある「こだわり」を必ず持っています。
手順、程度、スピード、感覚など、
それらが自分の許せる範囲でないと、ひどく不快になるようです。
それを、自分に課したり、他人に課したり、
いわば理想に忠実であったり、完璧な状態を目指していたり、します。

学校生活で、それを追及するとどうなるか…、
それはそれは不快の連続なのでしょう。
自分を大事に思うなら、引きこもりたくもなるはずです。

でも、誰よりも優しく真面目だし、
みんなのことを考えているし、
何より願わくば、みんなと同じようにやりたい、
と思っているのです。
こんな自分が情けない、と思っているから、
頑張りすぎてしまうし、
疲れはててまた学校に戻れなくなる、
という繰り返しを経験しています。

フィールドが学校ではなく、職場だったらどうでしょう?

こんなにストイックな人間なら、いい作品が作れるだろうし、システムも作れる、
よき戦力となるでしょう。


学校は集団生活であり、
目的も曖昧なまま義務教育として受け身な学びの連続です。
それに慣らされた子どもたちは、創造性に蓋をし、自主性、自律性を制限され、
大人の評価にぶら下がるような形で物事を判断していきがちです。

自分のなかに、明確な目的や方向性、
目標があった時にはじめて、
力を発揮する子が少なからず苦しんでいるのです。


医療的には、発達凸凹、グレーゾーン、ボーダーラインなどと言われるかもしれません。
それをもって、障害者手帳の申請はできますが、
外から見てわかりにくい、というところが、
一番障害なので、手帳はある意味盾となるのです。

なぜなら、努力不足、わがまま、協調性が低い、
と判を押されてしまうことが多いからです。
親もしっかりと理解するよう努めないと、
子どもに厳しくあたってしまい、自己肯定感を下げてしまいがちです。
また、周囲に理解してもらうために、
子育て中は親の受容の程度が大きく影響してくるでしょう。


親も人間なので、そう簡単に成長もできないので、
専門家のアドバイスやピアカウンセリングで、
自分と向き合いながら徐々に子どもを受け入れる決心がついていきます。

自分の子を理解したいのに、
あまりに自分と違いすぎて理解に苦しむ、という経験を積み重ね、
周りと意見がぶつかったりして行きつ戻りつするなかで、
やはり、
同じ境遇の仲間と思いを分かち合う、という
時間は癒しの時間です。



話は戻りますが、
私にとって、二人のママ友だちと話をする時間は、
本当に至福の時間でした。

特別な子育てあるある、をお互いに話すことで、
笑ったり、泣いたり、賞賛したりしていました。
ピアカウンセリング、支えあい、ですね。
誰かに話を聞いてもらうと、気持ちが浄化されていきます。それは必ずしも相手が専門家でなくてもよいわけです。



小学六年生の1学期は、親子ともに担任の先生とはすれ違ったまま終わりました。

これではいけない、と、
コーディネーターの先生を依頼しました。
チーム医療、とはよく聞きますが、
チーム教育、とはあまり聞いたことがありません。
それをするようにお願いしました。

クラスのことは担任の先生に任せる、
だけでは、対処の仕方に偏りを生むし、
担任の先生「当たり外れ」、というジャッジを
保護者のなかに広めていくだけです。
誰が担任でも、同じように教育が受けられ、
担任以外の先生にも事情が伝わっている、という現場が、
子どもにとっては安心であると思います。
個人情報保護論で情報を止めるのではなく、
入学時に了解を得るだけのことです。


コーディネーターの先生に、

「親が子どもを守ろうとするのは当たり前」

と、言われた時には、
なぜか、釈然としませんでした。

この違和感はなんだろう?と、思いましたが、

学校が変わろうとしてくれていないな、、、

と思ったからだ、とわかったのは、
ずいぶん後になってからでした。

これはきちんと発信していかないといけない、という思いから、
謙虚な保護者にはならずに、思ったことは貫いていくようにしました。

先生、という職業人は、自分が導く側だと思ってらっしゃると思います。
でもそれは、うまくいかなかったとしても自分の導きに相手が沿わなかった、というだけのことで終わることが多いような気がします。
まだまだ「先生」という職業は、聖職なのだと感じました。

現場は前例主義から脱却し、良いことは取り入れる、
という柔軟性を持っていただきたい。
公務員でもそれはできるはずです。


私もこれらの経験を反面教師にして、
常に自分を振り返り、
師に仰ぎ、新しきを取り入れ、切磋琢磨する人間でありたいと思います。




今、中学1年生になった娘は、
部活を楽しみにしていて、
ダンスに勤しみ、
BTSが好きで、
韓国に行きたくて、ハングル語を勉強したくて、

学校を楽しいと感じる、
12歳の女の子です。

おかげさまで、中学校の先生との関係性も良好で、
友だちともいろいろあるなかで、
なんとか妥協点を見つけてやっているようです。


私は、この三年間、様々間違いもしたかもしれません。
いろんな方とすれ違いを経験もしました。

でも、そのどれもが、必要な学びだったのだと
今は思っています。


コロナ禍のなかで、図らずとも教育現場が急変し、数年かかるような現実打破を経験していると思います。
もっと数年後には、
もっと日本の教育が柔軟であり、風通しが良くてみんなのものであるよう、
微力ながら尽力したいと思っています。




久しぶりの投稿でした。
この3ヶ月半ほどは、新しい風が吹きぬけていきました。

今日で、いったん仕切り直します。

これからは、私の日常に基点を置いて、
ブログを書いてみたいと思います。
そのなかでまた、娘のことや、教育のことなども織り混ぜならがら、
ご報告できたらと思います。

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