yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

最後に率直に伝えたいこと。

私には、本当に幸いなことに、
学年は異なりますが、
同じように「特別な子」を育てているママ友が
同じ学区に二人いました。


ここで言う「特別な子」と言わせてもらっているのは、
何も「ギフテット」のような天才をいうのではなく、
誰が見ても「自閉症」とわかるような、というのでもありません。

コミュニケーションも、勉強も、
一見、普通にこなしているように見えて、
物凄く物事を深いところで理解していたり、
感じ取っていたりする子、
のことです。

そのような子は、ある「こだわり」を必ず持っています。
手順、程度、スピード、感覚など、
それらが自分の許せる範囲でないと、ひどく不快になるようです。
それを、自分に課したり、他人に課したり、
いわば理想に忠実であったり、完璧な状態を目指していたり、します。

学校生活で、それを追及するとどうなるか…、
それはそれは不快の連続なのでしょう。
自分を大事に思うなら、引きこもりたくもなるはずです。

でも、誰よりも優しく真面目だし、
みんなのことを考えているし、
何より願わくば、みんなと同じようにやりたい、
と思っているのです。
こんな自分が情けない、と思っているから、
頑張りすぎてしまうし、
疲れはててまた学校に戻れなくなる、
という繰り返しを経験しています。

フィールドが学校ではなく、職場だったらどうでしょう?

こんなにストイックな人間なら、いい作品が作れるだろうし、システムも作れる、
よき戦力となるでしょう。


学校は集団生活であり、
目的も曖昧なまま義務教育として受け身な学びの連続です。
それに慣らされた子どもたちは、創造性に蓋をし、自主性、自律性を制限され、
大人の評価にぶら下がるような形で物事を判断していきがちです。

自分のなかに、明確な目的や方向性、
目標があった時にはじめて、
力を発揮する子が少なからず苦しんでいるのです。


医療的には、発達凸凹、グレーゾーン、ボーダーラインなどと言われるかもしれません。
それをもって、障害者手帳の申請はできますが、
外から見てわかりにくい、というところが、
一番障害なので、手帳はある意味盾となるのです。

なぜなら、努力不足、わがまま、協調性が低い、
と判を押されてしまうことが多いからです。
親もしっかりと理解するよう努めないと、
子どもに厳しくあたってしまい、自己肯定感を下げてしまいがちです。
また、周囲に理解してもらうために、
子育て中は親の受容の程度が大きく影響してくるでしょう。


親も人間なので、そう簡単に成長もできないので、
専門家のアドバイスやピアカウンセリングで、
自分と向き合いながら徐々に子どもを受け入れる決心がついていきます。

自分の子を理解したいのに、
あまりに自分と違いすぎて理解に苦しむ、という経験を積み重ね、
周りと意見がぶつかったりして行きつ戻りつするなかで、
やはり、
同じ境遇の仲間と思いを分かち合う、という
時間は癒しの時間です。



話は戻りますが、
私にとって、二人のママ友だちと話をする時間は、
本当に至福の時間でした。

特別な子育てあるある、をお互いに話すことで、
笑ったり、泣いたり、賞賛したりしていました。
ピアカウンセリング、支えあい、ですね。
誰かに話を聞いてもらうと、気持ちが浄化されていきます。それは必ずしも相手が専門家でなくてもよいわけです。



小学六年生の1学期は、親子ともに担任の先生とはすれ違ったまま終わりました。

これではいけない、と、
コーディネーターの先生を依頼しました。
チーム医療、とはよく聞きますが、
チーム教育、とはあまり聞いたことがありません。
それをするようにお願いしました。

クラスのことは担任の先生に任せる、
だけでは、対処の仕方に偏りを生むし、
担任の先生「当たり外れ」、というジャッジを
保護者のなかに広めていくだけです。
誰が担任でも、同じように教育が受けられ、
担任以外の先生にも事情が伝わっている、という現場が、
子どもにとっては安心であると思います。
個人情報保護論で情報を止めるのではなく、
入学時に了解を得るだけのことです。


コーディネーターの先生に、

「親が子どもを守ろうとするのは当たり前」

と、言われた時には、
なぜか、釈然としませんでした。

この違和感はなんだろう?と、思いましたが、

学校が変わろうとしてくれていないな、、、

と思ったからだ、とわかったのは、
ずいぶん後になってからでした。

これはきちんと発信していかないといけない、という思いから、
謙虚な保護者にはならずに、思ったことは貫いていくようにしました。

先生、という職業人は、自分が導く側だと思ってらっしゃると思います。
でもそれは、うまくいかなかったとしても自分の導きに相手が沿わなかった、というだけのことで終わることが多いような気がします。
まだまだ「先生」という職業は、聖職なのだと感じました。

現場は前例主義から脱却し、良いことは取り入れる、
という柔軟性を持っていただきたい。
公務員でもそれはできるはずです。


私もこれらの経験を反面教師にして、
常に自分を振り返り、
師に仰ぎ、新しきを取り入れ、切磋琢磨する人間でありたいと思います。




今、中学1年生になった娘は、
部活を楽しみにしていて、
ダンスに勤しみ、
BTSが好きで、
韓国に行きたくて、ハングル語を勉強したくて、

学校を楽しいと感じる、
12歳の女の子です。

おかげさまで、中学校の先生との関係性も良好で、
友だちともいろいろあるなかで、
なんとか妥協点を見つけてやっているようです。


私は、この三年間、様々間違いもしたかもしれません。
いろんな方とすれ違いを経験もしました。

でも、そのどれもが、必要な学びだったのだと
今は思っています。


コロナ禍のなかで、図らずとも教育現場が急変し、数年かかるような現実打破を経験していると思います。
もっと数年後には、
もっと日本の教育が柔軟であり、風通しが良くてみんなのものであるよう、
微力ながら尽力したいと思っています。




久しぶりの投稿でした。
この3ヶ月半ほどは、新しい風が吹きぬけていきました。

今日で、いったん仕切り直します。

これからは、私の日常に基点を置いて、
ブログを書いてみたいと思います。
そのなかでまた、娘のことや、教育のことなども織り混ぜならがら、
ご報告できたらと思います。

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(ローズウィンドウを通して見る光)

先生、を反面教師にしたエピソード

頑張るとご褒美がある、

または、

頑張らないとペナルティがある、

 

という条件が、

「望ましい行動」を引き出すのに、

効果的なことがあります。

 

 

子育てに関していえば、

ほとんどが、 

 

「親にとって望ましい行動」、

 

というものだと思いますが、

 

本当は、

当の本人が、

条件を決めてがんばるものだ、

と思います。

 

大人の場合は、

そうやって、自分を鼓舞しているものです。

 

 

でも、

子どもに対して、何かを動機付けるのには、

とても有効なので、

よく使われる手法です。

 

でも、

それは、コントロール

 

セルフコントロールならいいのですが、

そうでなければ、

いつも、何かを誰かに求める、

または、

自他にペナルティを求める、

そんな人間に、

ならなかったらいいのですが…。

 

 

娘は、もともとこの手法が、

使えない子どもでした。

 

一人っ子で、

祖父母から甘やかされた面もありますが、

 

条件があったとしても、なかったとしても、

 

やりたくないものはやりたくない、

し、

やりたいものはやりたい、

 

のでした。

 

 

今でも、うっかり条件提示してしまいますが、

そのたびに、無効であることを確認することになります…。

 

そんなご褒美はいらないし、

そのペナルティは受けて立つ、

もしくは、無視する、

 

というわけです。

 

 

お行儀よく、だの、

お作法だの、

お約束だの、

とっくの昔に、

しつけ、ることは諦めました。

 

そうすることによって得られる、

ご褒美やペナルティは、

本人にとって、

あまり意味がない、ようでした。

 

あなたの将来のために、

は、

自分の子育ての成功のために、

 

を、見透かされてるようでもありました。

 

 

俗にいう、

「飴と鞭」は、

我が家では通用しませんでした。

必要ならば、自分でやるから、

という子どもでした。

 

 

 

 

六年生になった娘は、

最高学年という気負いもあってか、

最初は頑張って教室にも通っていました。

 

私は、娘の成長にしたがい、

親の関わり方も変えていく必要を感じていたので、

娘と先生の決めたこと、

に基本的にはお任せすることにしていました。

そろそろ親が知らないことがあっても、

不思議じゃない年頃です。

娘を信じて任せよう、見守ろう、

と、思っていました。

 

担任の先生との面談では、

娘のことは、包み隠さず話していました。

この二年間の引き継ぎもしていただいてると、

信じていました。

 

さらに、

本人が学校に行かない選択をするなら、

それも尊重する構えでいましたし、

本人が、納得しているなら

それでいいと思っていました。

 

 

ですが、現場には限界もあったのでしょうか。

 

通り一辺倒な対応、

一方通行的な対応、

押し付け、励まし、煽り……、

 

先生は、自分の長年の経験や価値観、

から抜け出せないでいるようでした。

 

自分の対応は適切だったか、

子どもはどう思っているのか、

 

というような振り返りができていないようでした。

 

振り替える余裕がないのか、

ベテランというプライドが許さないのか、

子どもの頃に学校が好きだった先生にはわからないのか、

 

そこはわかりませんが、

 

これは、私も反面教師にしなければいけないことだな〜、と、

思いました。

 

 

結果的に、娘が登校するたびに

傷ついて帰ってくることになり、

 

それでも、先生には何か策があるのだろうと

娘をなだめ透かしながら、

やり過ごしていましたが、

 

学校で困っています、という相談もなく、

他の先生も娘の状態に気づいていながら、

何も変わらず、

 

ある日、泣いている娘を迎えにきてほしい、という連絡がありました。

 

泣いてしまった娘、

先生に気持ちをうまく言えない娘、

が迷惑をかけているような雰囲気がそこにはありました。

 

担任の先生に全てを打ち明け、

娘の苦しみにに気づいていなかった先生に驚き、

 

あらためて、学校という組織の、

閉塞性、

先生も、ある意味職人集団であることを思い知りました。

 

 

子どもは、大人の世界の縮図になることがあると思います。

 

子どもは、ちゃんと大人のふるまいを見ているものです。

 

子どものふるまいを責める前に、

大人は自分たちのふるまいを、

振り返る必要があると思います。

せめて、話をじっくり聞いてやる必要があると思います。

 

 

 

 

 

 

日々の積み重ねが、明日の自分を作る

辛かった過去も、

もちろん瘡蓋がはがれるように、

なくなってくれるわけではないのですが、

 

嬉しかった過去は、

さらにキラキラと装飾されて、

美化されて、

記憶に残っているものです。

 

だからこそ、

人生を前に進める勇気も出てきますし、

やり直しも可能となります。

 

失敗した、

と思ったとして、

また何度でもやり直すことはできるし、

辛い記憶を、楽しい記憶で包み込むことはできるはずです。

 

 

失敗してもいい、

完璧な人はいない、

そのことを常に心に留めていれば、

誰も彼も、許せていたのだろうな、

と思いますし、

何よりもまず、

自分を許せていたのだろうと思います。

 

そして、

小さなリカバリーを積み重ねながら、

明日も生きていくのです。

 

 

 

私には、あるスイーティな記憶があります。

学生時代に、

部活の合宿で疲れはてた私たちに

先輩がくれた、

「シルベーヌ」、というプチチョコケーキが、

とても美味しかったことが今でも忘れられず、

 

今でも、疲れた時や、

娘を元気づけたい時には

購入してしまいます。

 

些細なことですが、

感動したことのひとつひとつが、

明日の自分を作っているような気がします。

 

 

 

 

いろいろ経験して、

ずいぶんと反省して、

手応えも感じてきていた、

娘、不登校3年目、

 

六年生になっていた娘は、

身体も大きくなり、

自分のスタイルもハッキリしてきて、

娘なりの小学六年生女子、を生きていました。

 

私も、バージョンアップしないと、

と、

娘の自主性に任せて、

自分は前に出ないような関わりを心がけていました。

 

 

そして、

自分が通ってきた道を、

まだ歩いているような、

そんな人を見るたびに、

 

そうじゃない、

そうじゃないんだ、

 

と、諭したくて、

うずうずしてくるのでした。

 

これが、

学校との連携、後期編、

になるわけですが、

 

担任の先生とのやりとりで、

一番悶々と悩んだ時期になりました。

 

 

でも、

これも通りすぎてみると、

今までのいろんな疑問が、晴れてくる気がするのでした。

 

 

 

次回に続きます。


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(畑のなかのヒマワリ)

「コントロール」、について

特別な子の、子育てのコツ、

というものはあると思いますが、

 

まだ発達途上にある子どもを

 

ジャッジしたり、

コントロールしたり、

 

することは、

ナンセンスと言えます。

 

 

ついつい、

ジャッジ(あなたはいつも~だから)、

したくなりますが、

 

それは、親によるコントロール

だと思います。

 

 

ジャッジではなく、

分類(こっちのタイプなのね)、

 

コントロールではなく、

自分で乗り越えた、という体験を

与える、

 

というものならば、

実りある着地点が得られるのだと

思います。

 

 

言葉遊び、にも聞こえますが、

ニュアンスの違いを理解し、

意識するだけでも、

状況は変わってくると思いますし、

 

不安や悩みを抱えた子どもが、

心の中を整理し、

自分を取り戻して再起するまでには、

時間がかかる、

 

という、覚悟が、

親には必要なのかな、

と、今は思います。

 

 

 


「何とかしたい(してやりたい)」、

という思いは、

コントロールに繋がりやすいので要注意です。

 

学校の行事、

というのは、

その時、を逃すと、

もう二度とその年齢では体験できない、

人生の大切な思い出であり、

みんなと分かち合う貴重なものだ、

と、

信じて疑わない私がいました。

 

なんとか、

行事だけは参加させたい、

と、

娘のためだ、

と、

信じていた私は、

 

どのようにしたら参加ができるのか、を、

先生と一緒に相談し、

娘にも打診して、


おかげでいくつかの行事に、

娘は参加が出来ていました。

 


「よかったですね〜、娘さん頑張られましたね」


と、先生から言われ、


「はい、ありがとうございます!」


と、返していたのですが…。

 


それは、

 

本当に娘が願ってのことだったのだろうか…、

 

娘は満足したのだろうか…、

 

娘にとって最善だったのだろうか…、

 

これを、コントロール、というのではなかろうか…、


と、振り返っては反省しています。

 

 

 

大人が助けないと、

考えないと、

いけないんじゃないかと、

決して悪気はなく、誰よりも娘の幸せを願っていたはずなんですが…。

 

 

「状況によっては、参加しない、という選択肢を選ぶ子どももいます」

 

と、言われてもなお、

ぽかん、としていた私は、

心のどこかでは、

ホッとしたことを覚えています。

 

そう、

やっぱり私は、

自分の安心、のために、

娘を行事に参加させていたのかもしれないのです。

 

母である私の安心、

というレールの上を

娘には歩いて欲しかったのです。

 

 



人の気持ちはコントロールできません。


私の好きな海外ドラマ、

「ダウントンアビー」で、先週こんなシーンがありました。


育ての親から産みの親へと、子どもが渡されました。


育ての母親はあまりの悲しみに、

産みの母親のところから子どもを誘拐してしまいました。


父親は物分かりの良い人でしたが、

妻の気持ちまでコントロールすることはできなかった、


と悟ります。



こうしたらいいじゃないか、

こうするのが一番、


と思うことでも、

他人の心の舵取り、

をすることはできないものです。


それは親と子でもできないし、

夫婦間でもできないし、

先生と親の間でもできないし、

医者とクライアントの間でもできないし、

できていたとしたら、

その関係は、

どこかで歪みを生じることになるのでしょう。



私がPTA役員をやれば、

娘さんも登校するのでは…?

と言われたことがありますが、


そんな簡単なものでもないのです。


支援は、制御ではなく、

制御不能が当たり前なのです。

内発的な動機付け、が必要なのですね。




次回に続きます。

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 (家族でも、三者三様)

 

 

HSC気質の子どもを育てるコツ

 

HSCの子どもは、

一般的な対応では難しいことがあります。

 

普通の子、以上に、

親の期待を感じとり、

そのように振る舞おうとして頑張りすぎたり、

プレッシャーに感じたり、

してしまいます。

 

もともと、プレッシャーには弱いところがあります。

 

 

このような子の子育ては、

なかなか難しいものなのですが、

言葉を放つ前に、

 

それが適切かどうか、

 

を、自分のなかで咀嚼してから

発するようにしています。

 

 

例えば、

 

「頑張れ〜、応援してるよ!」

 

という言葉は押し付けがましいので、

 

「すごい、頑張ってるね!」

 

のほうが、うまく伝わります。

 

 

基本的に、

人の期待感、を負担に感じやすいので、

頑張ってほしい時には、

 

(もうすでに)頑張っているね、

 

と、

未来の子どもの到達点を見るのではなく、

今の子どもの到達点を誉める、

というのが、

明日頑張る子ども、

を作っていくことになります。

 

どの子もそうなのかもしれませんが、

HSC気質の子は、

そういう関わりのほうが伸びます。

 

敏感なだけに、

実際、いろんな人の思いを受け止めながら、普段から頑張っているのです。

 

 

けれども、

親としては、

ついつい、応援したくなるものです。

 

「頑張ればできる!あなたならできる!」

 

と。

 

でも、それは心のなかに留め置き、

 

「頑張ってるね」

「無理しないで」

「ぼちぼちね」

 

と、声をかけるようにしています。

 

 

以前も書きましたが、

もちろん、

心からそう思っていなければ、

逆説的にとらえられてしまいます。

 

「私はもっと頑張れと言われている…」

 

と、言葉の裏を読みがちです。

 

親は、価値観から変わるしかありません。

ありがちな常識や世間体、から抜け出す必要があります。

 

 

 

それからもうひとつ、

注意されること、が苦手なので、

少し「注意」が必要です。

 

どういうことかというと、

本人が納得できること、

なら大丈夫なのですが、

本人が理不尽、

と感じることならば、

自分の存在自体を否定された、ととらえがちになるので、

 

注意したり、叱ったり、することには、

筋が通っていることと、

行動だけを取り上げている、

ことが伝わっている必要があります。

 

さらに、

言い方にもコツがあります。

 

相手を批判するよりも、

 

母は、こうしてほしかった、

このような話を聞いたことがある、

 

と投げ掛けて、

 

で、あなたはどう思う?どうする?

 

と、本人に考えさせる余白を残しておくのです。

 

「決めるのはあなた」、

という、余白を残すことは、

 

あなたを尊重している、

というメッセージになります。

 

 

どの子にも当てはまることですが、

HSCの子育てには、

重要なことです。

 

 

「こういう時には、親としては注意するべきなのだろうな〜」、

と、

思うことも、いったん我慢…。

 

HSCの子は、

 

疲れた心身を癒すための、

バランスをとるための、

 

物や場所、時間が必要なのです。

 

 

少々のゲーム依存、には目をつぶりますが、

夜更かし、や健康を損なうことに対しては、

きちんと話をするようにしています。

 

 

人の気持ち、や、場の雰囲気、

に敏感な気質は、

 

ガス抜きができたり、

自分で決めたり、

自由に振る舞ったり、

 

する時間が何よりのごほうびです。

 

私もHSP気質なので、

自分ならどう思うだろうか、

と考えながら、

子どもと向き合うようにしています。

 

 

さらに、

HSP気質は、

空気が読めすぎるから、

その反動で、

全く空気が読めない時があります。

 

残念なことに、うまく舵取りができないのです。

 

 

 

要するに育児とは、

 

「うちの子はどんな子か」、

 

ということを知ることが、

育児書よりも大事なのかもしれません。

 

 

 

 

そんな娘の特性を、

学校に説明することは、

簡単なことではありませんでした。

 

子どもが話しやすい雰囲気を作るためには、

周りの理解が必要です。

 

ですが、

どうしても、

 

「子どもは導く対象」、

 

という見方が根強いために、

私の言葉が届いたのかどうか、

定かではありません。

 

 

ただ、ただ、

 

SOSが出せない子、

悩みを話してくれない子、

心の問題がある子

 

と、子ども側の問題、課題で片付けられることが多く、

 

「関わり方で変わります!」

という私の言葉も

知らないまに感情的になり、

 

うまく先生方と連携がとれなくなっていくのでした。

 

 

 

次回に続きます。


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(参加できた修学旅行のお土産)

 

あるがままに〜楽しいことだけしよう〜

 

娘によく、質問をしていました。

 

どうして、食べないの?

どうして、学校が嫌なの?

どうして、給食が嫌いなの?

・・・。

 

その他にも、

娘の事を知りたい一心で、

たくさん、たずねていました。

 

でも、返ってくる言葉は、

だいたい、

 

「わからない…」。

 

何か原因があるのだろう、

理由があるのだろう、

全部話してほしい、

 

そう思っていたのです。

 

 

そして、言葉にしなくとも、

 

「ママが何とかするから…!」

 

と、いうメッセージを、

きっと放っていた、と思います。

 

 

「わからない」、

という答え、には、

ずいぶん困惑しましたし、

解決の鍵がいつまでも見つからない、

と、

私は、イライラしていました。

 

いつも、

イライラした顔を、

娘に見せていたと思います。

 

 

「わからない」、

 

という答えは、

たとえそれが、真実じゃなかったとしても、

 

その時、の娘の気持ち、

をあらわす言葉であり、

状況にふさわしい答え、であり、

 

きっと、

 

何もしなくていい、

 

「ママは、何もしなくていい」

 

ということだったのかもしれず、

 

娘は、原因に向き合うとかではなく、

ただ、

立ち止まり、

何もしたくなかった…、

 

のかもしれません。

 

 

私は、

何もしなくてよかった

何とかしようとしなくてよかった

 

のかもしれません。

 

 

ただ、ただ、

あるがまま、というのが、

一番難しいのかも、しれません。

 

 

 

学校ではない、

家で、娘とたくさんの時間を過ごしました。

 

手芸をしたり、料理をしたり、

楽しいテレビやDVDを見たり、

楽器をならしたり、

絵を描いたり、

踊ったり、

 

楽しいこと、しかしませんでした。

 

 

自分は、

 

何をしてる時が楽しいのか、

何をしてる時が心地いいのか、

 

そんなことと、ひたすら、

向き合っていた、

探していた、

のじゃないかと思います。

 

 

 

ただ、のびのびと、

子どもが育っていくためには、

親は何ができるのだろう。

 

今では、

そんな、簡単そうで、簡単ではない、

課題に日々向き合っています。

 

 

親であるかぎり、

様々な矛盾を前に葛藤し、

 

迷いながら、

親も育っていくんだな〜、

 

と、思います。

 

 

 

次回に続きます。


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(窓から見た完全に満ちる前の月〜明暗入り交じる〜)

母との関係、学校との関係

私の母は、
正義感が強く、負けず嫌いで、
白黒はっきりさせる、
豪快なところもありました。

私の祖母が、いつも側にいてくれたので、
暖かい、柔らかいものに、
私は触れることかできていたように思います。


子どもの頃は、
こういうものだ、と思ってしまえば、

なかなか、
こうしてほしい、だとか、
これ以外があるのだ、
とか、
わからないままに過ごしてしまい、

生きていくために、
なんとか親に嫌われないよう、
悲しませないよう、
に、
振る舞ってしまうもので…。


でも、
大人になって、
いざ、自分も子育てに関わるようになると、

なんだかうまくいかない、
私は子育ては向かない、

と、思うようになりました。


親を反面教師にすることもあり、
また、
母と同じように娘に接してしまうこともあり、
その、葛藤のなかで苦しむこととなりました。


「経験していないもの」、
を、
再現するのは、難しいものでした。



もしかしたら、母と祖母の間には、
何かしら葛藤があったのかもしれません。

間にいた私が、
今こんなに、自分の娘への対応に、
揺れているのですから。


今の自分にしがみつきたい自分、
と、
そうあることに罪悪感を感じる自分、
との間で、

もがき苦しむことになりました。



HSCを育てる「特別な子育て」、
だから、
普通の子育てとはまた違うのではないか、

育てる環境が違うから、
違って当たり前、

と、
思われるかもしれませんが、


どちらにしても、

「親の態度」、

というのは、
試されるもの、です。




今、私は、

「娘の言葉」、

を信じていますし、

学校には、必ずそれを軸に、
意見するようにしています。

それは、
娘が学校に普通に通うようになったとしても、
変わることはない、と思います。



今は、
「夜更かし」など、

健康をないがしろ、にするような時は、

娘に「お小言」を言っています。


何をするにしても、
「身体が資本」、だからです。


そのほかの、
何か目につくような問題があったとしても、
娘なりの事情や理由があるのだろう、
と、
思えるようになりました。

そう思うだけでも、
気持ちの良いコミュニケーションが
生まれる気がしています。


ただでさえ、
思春期真っ只中、
HSCの子育て、に関わるなら、
なおさら、です。





学校との関係といえば、
出来る限り、

娘のスタイルにあわせよう、
娘の気持ちを優先しよう、
追いかけずに、待とう、

と、双方で足並みが揃いつつありました。


それでも、もちろん、
考え方の相違があったり、
要求が全て通るわけではなく、

押したり、引いたりを繰り返しながら、
あるバランスのとれたところで、
対応がなされていました。


出欠連絡は、なぜかどうしても毎日必要でした。
ある意味、手のかからない娘に対しては、
対応が後回しになるなど、

こちらが望む環境に辿り着くのは、
難しいものでした。


しかしながら、
あからさまな登校刺激は、しないことで、
一致をみていました。

先生の知識や経験と、
私のそれらが、
なんとかバランスをとって、
リスペクトしあう関係でいられた時期でした。




次回に続きます。


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(みんなが同じ色、同じ感覚で出荷?学校はそうではないことを思い出して)