yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

母との関係、学校との関係

私の母は、
正義感が強く、負けず嫌いで、
白黒はっきりさせる、
豪快なところもありました。

私の祖母が、いつも側にいてくれたので、
暖かい、柔らかいものに、
私は触れることかできていたように思います。


子どもの頃は、
こういうものだ、と思ってしまえば、

なかなか、
こうしてほしい、だとか、
これ以外があるのだ、
とか、
わからないままに過ごしてしまい、

生きていくために、
なんとか親に嫌われないよう、
悲しませないよう、
に、
振る舞ってしまうもので…。


でも、
大人になって、
いざ、自分も子育てに関わるようになると、

なんだかうまくいかない、
私は子育ては向かない、

と、思うようになりました。


親を反面教師にすることもあり、
また、
母と同じように娘に接してしまうこともあり、
その、葛藤のなかで苦しむこととなりました。


「経験していないもの」、
を、
再現するのは、難しいものでした。



もしかしたら、母と祖母の間には、
何かしら葛藤があったのかもしれません。

間にいた私が、
今こんなに、自分の娘への対応に、
揺れているのですから。


今の自分にしがみつきたい自分、
と、
そうあることに罪悪感を感じる自分、
との間で、

もがき苦しむことになりました。



HSCを育てる「特別な子育て」、
だから、
普通の子育てとはまた違うのではないか、

育てる環境が違うから、
違って当たり前、

と、
思われるかもしれませんが、


どちらにしても、

「親の態度」、

というのは、
試されるもの、です。




今、私は、

「娘の言葉」、

を信じていますし、

学校には、必ずそれを軸に、
意見するようにしています。

それは、
娘が学校に普通に通うようになったとしても、
変わることはない、と思います。



今は、
「夜更かし」など、

健康をないがしろ、にするような時は、

娘に「お小言」を言っています。


何をするにしても、
「身体が資本」、だからです。


そのほかの、
何か目につくような問題があったとしても、
娘なりの事情や理由があるのだろう、
と、
思えるようになりました。

そう思うだけでも、
気持ちの良いコミュニケーションが
生まれる気がしています。


ただでさえ、
思春期真っ只中、
HSCの子育て、に関わるなら、
なおさら、です。





学校との関係といえば、
出来る限り、

娘のスタイルにあわせよう、
娘の気持ちを優先しよう、
追いかけずに、待とう、

と、双方で足並みが揃いつつありました。


それでも、もちろん、
考え方の相違があったり、
要求が全て通るわけではなく、

押したり、引いたりを繰り返しながら、
あるバランスのとれたところで、
対応がなされていました。


出欠連絡は、なぜかどうしても毎日必要でした。
ある意味、手のかからない娘に対しては、
対応が後回しになるなど、

こちらが望む環境に辿り着くのは、
難しいものでした。


しかしながら、
あからさまな登校刺激は、しないことで、
一致をみていました。

先生の知識や経験と、
私のそれらが、
なんとかバランスをとって、
リスペクトしあう関係でいられた時期でした。




次回に続きます。


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(みんなが同じ色、同じ感覚で出荷?学校はそうではないことを思い出して)