yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

HSCで学校が苦痛になった娘の背景〜習い事編〜

娘は、5歳からダンスを習っています。

習い事はじめ、というのは、
お友だちと一緒に始めることが多いものです。

娘のダンスもしかり、でした。


そんなことで、
どうしてもやりたい、と思ったことでもない限り、
なかなか長続きしないものですが、

やはり、娘もモチベーションが底をつくような日々を経験しました。




既に、お友だちと通い始めたスイミングも、
1年足らずで辞めていました。

辞めた理由は、

「先生が怖いから」

というもので、

いくら説得しても、気が変わるものではありませんでした。


4年間、頑張った知育教室も、
好きだった先生がやめられたタイミングで、
自分もやめたいと言い出し、
退会しました。




そして、
ダンスレッスンでも同様、

先生に叱られて、
または、他人が叱られているのを見て、

恐怖感に支配されてしまった時期がありました。

「なんであんなに言われないといけないんやろ…」



毎度、連れていくのが大変なので、
そろそろ辞めさせようか、
と思っていた矢先、
不登校が始まりました。





その頃、娘はピアノも習い始めていました。

義父や私が家で教えていた時には、
習いたい、と言わなかったのですが、

三年生の途中に、
突然、
習いたい!と言い出しました。

私は喜んで教室を探し、

同級生のなかでも、
まだ優しそうな子たちが通う教室に
通うことにしました。


先生は、娘の才能を見抜いていて、
だからこそですが、
熱を帯びた指導をしてくださいました。
ただ弾くだけではなく、
イメージトレーニングを取り入れて、
曲の背景までも教えてくれました。

でも、
それが娘にとっては、
想像以上に苦痛だったようです。

「先生は、何を私にさせようとしているのかわからない!」

と言って、
帰り道に泣きました。

敏感で、人の期待感を重荷に感じたり、
深く考えてしまう、
HSCのもっともたるものでした。

でも、まだその頃には、
その気質であると確信があったわけではなく、
周囲に理解を求める行動には
出られませんでした。



不登校を始めてからは、
ピアノも休みがちになり、
発表会は不参加、
あんなに一緒に練習した、
私との連弾、の夢も消えてしまい、

私のほうがショックを受けていました。

結局、ピアノの先生の元も、
去ることになりました。





ここまで書いてきて、
娘には、
ちょっと他の子とは違う、
あるパターンで、
自分の進退を決めているのではないだろうか…?

と思わされます。


それは、
師事する相手、

先生との相性が全て、

と、いうことでした。



なるほど確かに、そういうこともあるのでしょう。

しかしながら、
10歳にも満たない子どもが、
そんなに先生を、選ぶものでしょうか…?

先生がどうか、を第一に考えるのでしょうか…?

私の子ども時代は、
いや、今でもかもしれませんが、
先生についていくのに、必死になり、
逆に頑張ってしまいます。

それは、無意識のうちに、
先生のやり方に、自分を合わせていく作業をしているのでしょう。
やり遂げた達成感が、欲しいからでしょう。


でも、よく考えると、
ずいぶんな遠回りな道なのかもしれません。
自分に合う先生なら、
無駄な緊張感は発生しませんから、
パフォーマンスは上がるはずです。





私は、ダンスの先生に、
娘の摂食障害不登校を相談しました。

先生は、
身内のもの、のように、話を聞いてくれました。

私が、自分や娘のことを
少しでも卑下しようものなら、

「そんなことを言ってはいけない!」

と、子どもを信じることの大切さを
思い出させてくれました。

どんな時も、
自分の娘が一番、
だと思うことに、
何の罪悪感を抱くことがあろうか、と、
教えてくれました。


シンプルですが、
その時の私の腹に染み渡る、
必要な言葉、でした。


先生は、

体重が回復するまで、レッスンはさせません、

と、いう約束を娘との間で交わし、
時々、連絡をいただいては、
体調を気遣っていただきました。



そうして、しばらくレッスンを休んだあと、
娘は、

「レッスンに行きたい」

と、言うようになりました。

学校には行かないけれど、
ダンスレッスンには行く、というのです。

家から一歩も出なくなっていたので、
外との関わりが、ダンスレッスンで叶うならば、
家族にとってこんなに嬉しいことはありませんでした。



「学校に来てないのに、習い事は来ている」
と、いうことが、いい気はしないのでしょう。
同級生たちからは、後ろ指を差されていたようです。

でも、その頃からでしょうか、
娘は、同級生のいじわるを、
全く気にしなくなっていました。

先生も、

「学校にちくる子がいたら、
いつでも学校に話をしに行きますから!」

と、全面的に応援してくれていました。



そして、
無事に食欲も回復し、
ダンスレッスンは今まで以上に頑張り、
次年度には、舞台で主役を務めることができました。


先生との絆もできたようで、

「先生が怒っても大丈夫。怒られる理由がわかるから」

と、言うようになりました。




その後も、同じように、
自分の師は、
自分で選びとっています。

いくらしたいことであっても、
そのフィールドが自分にとって、

Comfortableでなければ、
やり方が自分の府に落ちなければ、

あっさりと、やめています(笑)。



学校の先生への評価も、
例外ではないのでしょう。

正しいか、間違っているのか、
の論に、もう興味はありませんが、
自分の道を進むには、
非常に効率的だと、
思います。





次回は、学校とのやり取りを、
書いてみたいと思います。


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(ペットボトルで作ったランプ)