医療、学校、親、という支援の輪〜初期〜
「私、失敗しませんから」
あるドラマで、よく聞くセリフですね。
清々しさがありますし、
有言実行、という展開です。
状況的にも、
失敗は許されない、感じですから、
あれは、あれで、
安心を生むセリフなんでしょう。
「二度あることは、三度ある」
これも、良く聞く昔からある言葉ですが、
私はこの逆説と言いますか、
それに逆行するかたちで、
しつけられていた記憶があります。
「二回は許すが、三回は許さない」
と、いうふうに言われて育ちました。
「二回」、してしまうこと、
例えば、癖や、傾向、失敗など、
は、
「三回目」、がある可能性、
を、
否定できません。
それを、しないようにするには、
かなりの窮屈さがあったのではないか、と、
自分の幼少期を想像します。
私の「失敗」に対する「恐れ」は、
小さい頃から育まれたようです。
「失敗してもいいから、何でもやってみなさい」
という言葉が欲しかったように思います。
ただ、
親を恨んでいるわけではありません。
親も、娘が全うに歩んでいけるよう、
必死だったんだと、
今では思いますから。
「私…、失敗しますから」
で、生きていけると、
自分を許しながら生きていけると、
楽に生きれるんだろうな〜、と、思います。
娘の学校とのやりとりは、
長期に及ぶことで、
いろいろな段階を経ることになりました。
はじめは、
とにかく、娘の健康一番で、
娘の言動最優先で、
お互いにやりとりしていました。
もちろん、
しばらくしたら、再登校してくれる、
と、
期待していましたので、
まだ落ち着いてもいられました。
放課後だけ、学校に行けるようになった時には、
娘と先生、だけでなく、
私も参加して、
子どもと大人が仲良くなるような遊びも取り入れながら、
みんなが手探りで、
「学校」とは何か、
「教師」ができることは何か、
「親」ができることは何か、
を、探していたと思います。
医療機関での受診は、
回数を重ねるにつれ、
娘の心理的なフォローや、
発達検査、診断が主になってきました。
この頃から、
娘の摂食障害、不登校の原因、理由などが、
可能性として明らかにされ、
学校の対応、
親の対応、
などに指示、提案がなされ、
原因が見えてきたことでの、
ある意味安心感はありましたが…、
それを他者への説明の切り札として、
娘の良き理解者になるために、
私は猛烈に勉強に励みました。
一生懸命、原因と向き合えば、
娘は救われる、道が開ける、
と、思って疑わなかったのです。
それが良かったのかどうか、
は、わたしのなかでは、
未だに判断できません。
確かなのは、
学校にも限界があり、
私にも限界があるなかで、
いろいろと頑張りすぎて、
周囲がバラバラになり、
皮肉の応酬に成り果てることも増えたのでした。
いわば、
新たな第3者、が必要な状態でした。
診断を盾に、
娘にあった教育環境を得ようとする私、
前例のないことは、
なかなか物理的にもできない、とする学校、
娘は娘で、自分では、
なぜ、食べられなくなったのか、
なぜ、学校に行きたくなくなったのか、
これからどうしていくのか、
などは、
はっきりと言葉にできない状況で、
本当のところはどうすべきか、
誰もわからないまま、
今までの慣習や前例、
それぞれの信念に従って、
「不登校」への対応、
というものに、
向き合っていたのでした。
それぞれの立場の大変さ、
を、
思いやる余裕もない、
悪循環が渦を巻いていたと思います。
次回に続きます。
(光を求めて)