yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

娘に告げられた、思春期によくあるあの病気

 

「女優になること」

 

やね…。

 

ある人からアドバイスをもらったことがあります。

 

なんとなく、理解はできました。

ただ、しっくりは来ていませんでした。

 

それが今、

 

「本当に、そうだな〜。それが出来るといいな〜。」

 

と、心から思います。

 

 

なぜなら、

親の本心、というのは、

どんなに取り繕おうが、

子どもにバレバレなのです。

 

抱えている不安や心配、

怒りや悲しみ、嬉しみ、

 

娘のような「敏感な子」(HSC)には、特に、

隠し通すことはできないのです。

 

「大丈夫」

「そのままでいいよ」

 

安心させるための言葉も、

心からそう思っていなければ、

嘘っぽい言葉として、

子どもに伝わってしまいます。

 

喜ばせようと思って、

口だけの気の利いたセリフ、

を言った時に限って、

棒読みのように、聞こえるものなのでしょう。

盛りすぎることも、子どもには響かない…。

 

 

じゃあ、どうしたらいいのか、

 

それは、親自身が心底変わった時に、

発する言葉が、

体温を帯びて伝わるものなのでしょう。

 

 

その境地にいたるまでには、

時間がかかるものです。

 

そういう意味での特効薬として、

 

「女優になれ」

 

という言葉をくれたのだと思います。

 

 

 

 

受診の内容は、

問診と、血液検査でした。

 

私は、自分でも、

「ある見立て」、をしていて、

それなりに覚悟はしていました。

 

ただ、全力で否定したい側にまわって、

対岸からまるで、

こちらに戻っておいで、とばかり、

娘をたぐりよせようと、

たぐりよせられる、と、

思っていました。

 

まだ間に合う!

今なら間に合う!

戻っておいで!

と…。

 

でも、その願いむなしく、

ドクターから告げられた病名は、

 

「神経性食欲不振症」

 

いわゆる、

摂食障害

 

でした。

 

その頃には、

娘はげっそり痩せていて、

毎日1食分ほどを食べるのが精一杯でした。

 

でも、異様な感じなのですが、

普通に元気にしているのです。

私はこれがいい、とばかり、

食べられないことに困ってもいませんし、

ベストコンディションのようにしていました。

それが、病気たる所以でした。

 

 

「やっぱりか……。」

 

心のどこかでわかっていたことですが、

 

納得するのも早かったかわりに、

 

診察室で、大人げなく、

おいおいと、声をあげて泣いてしまいました。

 

 

とてつもない勢いで、

罪悪感が押し寄せてきたのです。

 

娘を、病気にしてしまった、

なぜ私は気がつかなかったのか、

 

今でも、あの瞬間は忘れることができません。

 

娘は、体が省エネ状態になっており、

成長ホルモンは止まっているような状態でした。

 

投薬と、高カロリー栄養ドリンクを注文することにして、

次の受診予約をして、帰途につきました。

 

受診が終わり次第、登校する予定で、

娘は制服を着ていましたが、

帰りの車中で、

 

「今日は学校休む」、

 

と言ったので1日休ませました。

 

ほっとしたのか、

次の日から、学校に行くことができなくなりました。

 

 

 

その後、

 

地獄のような、

家族の障害受容の日々が始まったのです。

 

 

 

次回は、なぜ私がそれほどまでの罪悪感を感じ、

受容ができなかったのか、を

書いてみたいと思います。


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(庭に毎年咲く、真っ白なアジサイ)