yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

医療、学校、親、という支援の輪〜中期~どうにもならないことがある〜

 

私のようなアラフィフ世代は、

 

仕事にしても、

パートナーにしても、

 

本当に心からやりたいことや、

欲しいものに、

手を伸ばして生きたか、というと、

 

必ずしも、そうではない、

と思います。

 

私の母の世代、となると、

なおさら、なのではないでしょうか。

 

 

娘を育てるにあたって、

私が育ってきたように、

同じように育てたらうまくいくかと思うと、

 

そうではなかった、ようです。

 

私は、育てられたように娘を育てる、

母は、私を育てたように孫を育てる、

 

それで、今までは、

うまく?いったのだから。

 

 

時代は変化し、

恵まれた環境で、子育てができるようになり、

子どもも、我慢一徹から解放され、

欲求に素直に、自由に生きることが

容易くなった時代を生きています。

 

娘は優れた五感を持ち、感受性豊かなので、

時代の風を読むことも、

きっと得意なのでしょう。

 

学校の旧態依然なやり方に、

同一性重視な地域性に、

「NO  thankyou」、と、

言いたかったのではないかと、

思います。

 

個性が花開く時代に、

あまりにも選択肢の少ない義務教育、

 

義務教育があわない子どもたちが、

今増えてきているのではないか、と、

感じています。

 

 

 

 

摂食障害」で受診した病院では、

その治療のみならず、

原因を探るべく、

発達検査をすることの提案がなされました。

 

私は、元々、医療畑にいた身なので、

もちろん同意し、

信頼して結果を待ちました。

 

娘は、

発達凸凹、グレーゾーン、

ADHD、LDの疑い、

というような、

曖昧ではありますが、

 

発達障害

いわゆる自閉スペクトラム障害、

 

の域のなかで苦しんでいる、

という見立てをいただきました。

 

私は大変だった今までの育児を振り返り、

 

今、発覚したのか…、

 

と、内心ほっとした気持ちに加え、

俄然、やる気が湧いてきました。

 

何のやる気、

かというと、

 

この診断を盾に、周囲と交渉する気力、

 

とでも言いましょうか…。

 

それが、

親ができる、

私だからできる、

最善のフォローだと、思っていたのです。

 

「私の専門分野やん…(泣)」

 

と、微妙な気持ちを隠しながらも、

その後の私は、

水を得た魚のように、

学校と交渉を始めました。

 

専門職としてのプライド、

子を守りたい一心、

で、

今の学校や、娘や、自分を、

変えようとしていました。

現状を脱却しようと、していました。

 

 

しかし、

そうやって、私が頑張れば頑張るほど、

味方は遠ざかっていきました。

職場からも見放され、

心理士からも一喝され、

先生とも距離を感じ、

父である旦那も助けてはくれませんでした。

 

 

娘のほうは、

2学期から少しずつ登校できたり、

行事にも参加できたりして、

見かけ上は、

適応してきたかのようでした。

 

しかしながら、

やはり、無理をしていたのでしょう、

2学期後半からは、

また家に引き返してきました。

 

 

その頃から、ひどく、

私は孤独を感じるようになりました。

 

自分のことでは、

今までどんなに辛くても、

どうにかなってきました。

 

どうにもならないことがあることを、

 

手放して、誰かに委ねることが必要であることを、

 

40数年生きてきて、

初めて知った、冬でした。

 

でも、殻をやぶるための、

自分で判断するための、

必要な経験だったのでしょう。

 

私もHSP

誰かとぶつかるような、

不穏な雰囲気は好みません。

いつもすぐに、

退出、して、

自分の気持ちをごまかしてきました。

 

 

 

次回に続きます。


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(凛として立つ、1輪の花)