ママ友付き合いが理解不能だったHSPな私。
HSPを自認する私にとって、
この10数年は、激動の10数年でした。
退職→結婚→出産→育児開始→
引っ越し三回→復職→転職→娘の不調→不登校→通院、、、
年単位ではありますが、
書き出してみれば、なんとイベントの多いことか。
娘が幼稚園時代に、
「子ども1人なのに、大変だなんて…!?」
と、言われたことがあります。
一人っ子子育ての複雑さは、
一人っ子を育てた人にしかわかりません。
娘が3歳の時に、
大きな戸建てのみの団地に引っ越しました。
そこは、
ステータスのある旦那様、
奥さんは主婦、
子どもは3人~4人、
という、大家族がご主人だけの稼ぎで生活している、
いわば、
セレブリティな団地でした。
マンションばかりに住んでいたので、
静かなところに移り住みたい、
という旦那の願望と、
義理の父母の後押し、
ご縁や様々なタイミングで、
決めたのでした。
娘は3歳、遊びたい盛りで、
毎日朝から公園に通いました。
お友だちが欲しいのですが、
同い年の子どもがいるママたちの輪に入るには、
十分に出遅れていました。
おまけに、近所の育児サークルは、
3歳からは入れませんでした。
慣れない土地での育児オンリー、
はさすがにきつい、と気付き、
息抜きのために、子どもの一時預りを月に数回利用するなどして、
孤立しないように、
ストレスで倒れてしまわないように、
私なりに頑張っていました。
以前も書きましたが、
バラ色でなくとも、失敗はしないように!
と、
必死だったのです。
娘はマイペース、
私は初めての子育てで余裕がない、
お友だちづきあいに発展するのは難しいものでした。
そのことに固執していた私は、
誰彼構わずフレンドリーにふるまい、
子どものためにも地域の情報を取り入れようと、
そして一緒に成長していける、
ママ友を作ろうと、躍起になっていました。
「ママ友」、
というのは、あえて例えると、
まるで不思議な生き物のようなもので、
どれだけこちらがオープンに接しても、
一期一会で向き合ったとしても、
子どものクラスが変わったとたん、
素通りされてしまいます。
さらに、子ども同士でトラブったものなら、
どれだけ仲良しであったとしても、
気まずくなって距離をおいてしまうのです。
そういうものだ、と、
わかっていれば良かったのです。
結局、波長があうかどうか、が、
大事なわけで、
子ども同士の関係に振り回されるものではない、
と、気がついたのは、
小学校も後半にさしかかった、
子どもの女子問題がお盛んになる頃、
くらいでした。
まさに、娘が学校に愛想をつかして、
家に戻ってきてしばらくがたってから、でした。
子どもの多い団地ですから、
比較対象も十分ですし、
噂話も聞こえてきました。
そのなかで、
孤立するのが恐ろしかったのです。
せめて、失礼のないように振る舞わなければ、
と、挨拶も率先して行い、
子ども支援のサークルにも入り、
PTAの仕事も経験し、
たくさんの方とお食事をご一緒しました。
その先に、楽しみがある、
と信じて疑わなかったのです。
で、今も誰かとつながっているかというと、
ほとんど0です。
私のお友だちといえば、
娘とは違う学年の、
別の地域の、
必死のママ友作り、とは関係ないところでつながった人たちです。
娘が不登校になってからは、
学校の話題はさっぱりわからないため、
同じように成長を喜ぶこともできず、
ママ友内での会話には入れませんでした。
地域で孤立しはじめてから、
はじめてわかったのですが、
『ママ友を作らなくても、何も困らない』、
と、いうことでした。
わからないことがあれば、
学校に直接聞いたらいいし、
変な噂話に振り回されることもありません。
楽しみは、よそで見つけたらいいのです。
ここまで書いてきたものを見返すたびに、
私って、まじめすぎるんだろな〜、
深く考えすぎ〜、
と、自分でも思いますし、
端から見てもそうなんだろう、と思います。
いろんなことに気がついて、
良かれと思って手を差しのべて、
自分や子どもや、ママ友方々に、
もしかしたら、息苦しい思いをさせたのではなかろうか、と思います。
そうやって、反省していることもまた、
感じやすい性格だからなんでしょうね。
次回は、ママ友付き合いを絶ってからの私について、
書いてみようと思います。
(我が家のシルクジャスミン)