yuupytan’s blog〜自分が感じたことが全て*全て受け入れながら生きていく〜

今の境地にいたるまで、私が娘とともに歩んだ軌跡を記録したものです。

脱ママ友つきあい、したあとの生活

「失敗だけはしないよう」、

「今度こそは」、

そう思って築き上げてきた、

「人間関係」、
「キャリア」、


それが、脆くも崩れ去り、

必死で取り繕うとしたけれど、

コントロールできるものではなく…。


自分の問題、なら、
自分がなんとか折り合いをつければ良いことなのですが、

娘の問題、に向き合うには、
人間関係も、仕事のキャリアも、
一度手放す必要がありました。


今思えば、ずっと、

感じてないふりをしたり、
背伸びをしたり、

そんなふうに生きてきた私は、
あとで後悔することも多かったのでした。

HSP、という自分の気質を理解し、
前向きにとらえ、
自分の気持ちに正直に生きる、

これだけが、
幸せへの近道だったと…、

娘に教えてもらったようなものです。




娘が学校に行かなくなると、
とたんに、
地域との接触、が減りました。

減る、だけではなく、
疎通がとれず、
こちらの思いをうまく伝えることが難しくなりました。

不登校の子どもが増えてきたといえど、
やはり、少数派です。

さらに、順調に子育てを経験しているママたちには、
こちらの状況がわからないこともあるでしょう。


ある日、
集団登校に姿を見せない娘について、
近所のPTA地域担当の方が訪ねてきました。

娘の登校班メンバーには、
娘がいなくても先に出発するよう伝えていたのですが…。


「いつから登校されますか?」


私の心は、いつも以上に敏感になっていましたので、
その言葉を聞いた時は、
ハンマーで頭を打ち砕かれたようでした。


「それは、子どもに聞いてみないとわかりません…」


そう答えるのが精一杯でした。


それは困ります…、…、
などなど、言われましたが、

インターホン越しだったので、
自分の中のモヤモヤした気持ちを、
相手にぶつけてしまう前に、
受話器を置きました。




半ば強制的に、脱ママ友づきあいしたのですが、
学年は違うけれど、
同じような境遇にあるママ、
との付き合いが始まりました。

家に子どもかずっといる、
私たち、にしかわからない思いを、
吐き出しては、
笑ったり、
泣いたり、

それを一緒にできる人、が身近にいることに感謝しました。

自助グループの茶話会や勉強会、
にも参加しました。

数は少ないながらも、

同じ境遇で頑張ってるママたちがいる、
不登校、といえども子どもにより状況は様々、

という現実、と出逢いました。

そんなプライベートを口にするのは憚れる、
という方がまだまだ多く、
仲間作り、とまではいきませんでしたが、

確実に私の世界は拡がりましたし、

自分の学区の常識、

から脱却できました。


地域とつながれず、
自分の周囲が不気味なくらいの静けさは、

「育児に失敗した私」、

を浮かび上がらせるのに
十分な環境でした。

たとえ、そうではなかったのだとしても…。




そんなこんなで、
人付き合いの範囲がある程度限られてくると、
今の自分に近しい、または必要な情報が、
次々と集まってくるのでした。


「ママ友付き合いに、エネルギーを割きすぎていた…」


そんな気持ちを吐露する方もいて、

私以外にも、ママ友付き合いにがっかりした人がいる、

ということを知りました。

今まで以上に、
本音で付き合える関係が、増えてきました。

だけど過度に、

寄っ掛からない、
期待しない、
便りにしない、

そんな関係性…。

趣味や好きなことで、繋がっていく関係性。


おそらく、それが一番だと、
娘は無意識ながら気づいてしまったんだと思います。

だからこそ、
世間話、ガールズトークは苦手だし、
集められた同一年齢集団では、
繋がれなかったんだと思います。




次回は、
娘の不登校の兆候が出始めたエピソードを、
書いてみたいと思います。


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(暗闇の中の光)